肉桂餅小話

肉桂餅に関わる小話…… 肉桂餅
シナモン小町


◆茶の湯の始まり◆

茶の湯は、足利幕府8代将軍義政の趣向により興隆し、殿中茶の湯といわれる高貴なものでした。 それを町衆にもなじむように、茶の湯を工夫・改革したのが、村田珠光でした。 教養人であった足利義政、その失政で生じた応仁の乱、京都の街の荒廃。 堺の商人は日明貿易で得た富と財力で、街を興しました。

村田珠光により町衆に広がり始めた茶の湯、中でも堺の豪商であった武野紹鴎は、禅道一味茶の湯を極め、 珠光の茶を「わび」「さび」の世界へ導きました。 この武野紹鴎は、茶聖千利休の師匠でありました。

◆利休と茶の湯◆

千利休
千利休肖像
利休の幼名は与四郎。
モダンで自由な港町の、富裕な商家に生まれました。千与四郎は才気に満ちた少年でした。
他の商家の子息もそうであったように、商売に必要な知識と算術の習得、 和歌・茶道の教養を身につけたと思われます。
その中でも武野紹鴎に師事した茶の湯において、その才能を表しました。
当時茶は、嗜好品ではなく禅宗寺院の座禅の際に用いる飲み物として禅僧たちに珍重されました。
 
茶会記に「千宗易」の名が現れるのは天文13年(1544)、23才の時でした。
禅一味、「わび」「さび」の心を重んじる武野紹鴎に師事し、その侘び茶の理念に独創性を加えて、 1つの美学として町衆だけでなく、信長秀吉といった戦国大名衆にも認められるようになりました。


◆肉桂餅と茶の湯◆

千利休邸
千利休屋敷跡
茶の香り、そして肉桂の香り、共に独特の高貴な香りが好まれて、 嗜好品として、茶の湯そして菓子として創製しました。
利休の時代、茶会での茶菓子としては、栗、柿、ふやき(餅を焼き上げたもの)のような素朴なものでしたが、 その後の茶の湯の発展と共に和菓子も進歩してきました。「肉桂餅」はその歴史と、 「わび」「さび」にも通じるセピア色の姿、利休生誕の地としての堺の菓子として好まれ、 茶の湯の道の方々にもご愛顧をいただいております。

多用途にご用命いただいております。